2011年12月12日月曜日

DAY35-36,40-42 (2010/4/29-30, 5/4-6 ラサ③):ラサで見るチベット仏教

(旅を振り返り日記を綴ります)

五体投地。

なぜ、人々は五体投地を行うのか。

五体投地をしている姿をみると、未熟な自分は直接会話する勇気を持てなかったのですが、3年かけて五体投地でヒマラヤを越えるチベット人夫婦へ話しかけた方の記事を拝見すると、チベットの人々の心のあり様が伝わってきます、写真で一目でわかります。

写真は、巡礼の聖地といわれるチベット仏教の寺院・トゥルナン寺(中国名:大昭寺(ジョカン寺))の前。


トゥルナン寺の屋上からリズムのある音が聞こえた。どうやら改築作業中のよう。


トゥルナン寺の周りの風景。


蝋燭用バター(左)
チベット仏教の仏具や装飾品のお店(右)
 





ポタラ宮のマニ車と風になびくカーテン。マニ車にはお経が書かれた紙が入っている。チベットの知人によると昔読み書きができない人がいたためお経を読む代わりに回すという習慣になったそう。



天空のポタラ宮。


ポタラ宮の周りを歩くおばちゃんたち。



ラサの中心部には、美しいタンカ(チベットの仏画)を扱うお店がいくつかありますが、ツーリスト向けでしょう。タンカはもともと釈迦の伝記や仏教の教義を伝えるために用いられたので、村々を回る僧侶が持ち運びがしやすい掛け軸の形を取られたということです(参考:Wiki)。こちらのブログによれば、現在、チベットでは、タンカは法要の折にそれに合った尊像のものを用いる、あるいは僧侶が修行の際に尊格を思い起こすために用いるそうですが、今では多くは商業用だそう。

自分にとって馴染みのある阿弥陀(阿弥陀仏、阿弥陀如来)に関わるタンカが欲しいと思い、タンカ屋に何度か足を運びました。阿弥陀はサンスクリット語のアミターバ(無量光仏、無限の光をもつもの)とアミタ-ユス(無量寿仏、無限の命をもつもの)の二つに原語をもちます。チベット仏教では阿弥陀はこれら二つに分けられ、アミターバは如来の形、アミタ-ユスは菩薩の形を取るそう。日本では阿弥陀仏として如来の形で表されます。如来(tathagata)と菩薩(bodhisattva)の違いですが、如来とは仏陀のこと、つまり悟りを開いた者のことで、菩薩は悟りを求める修行中の者とされています。仏像やタンカで、如来と菩薩の違いを見るには、飾りを付けているか否かが参考になるそう(飾っているのが菩薩)。




アミターバとアミタ-ユスで迷いましたが、絵が気に入ったこちらのアミタ-ユスのタンカを購入(200元≒3,000円)(左)。
 


ストゥーパと呼ばれる仏塔。もともとは、釈迦の遺骨を納めた塔。

ストゥーパはサンスクリット語で、これを漢字で音写すると、卒塔婆(そとば・そとうば)、略して、塔婆(とうば)となり、日本では塔と略される。インドのストゥーパは、中国で木造建築の影響を受け日本へ伝わり、五重塔や三重塔などとなった。「塔」という用語は仏塔のことを本来指していたが、それがタワーのような建物にも使われるようになったという(参照:Wiki)。


信心深いチベット族のおばさん。
バスの中でも、仏教法具のマニ車をグルグル回す。


私たちもコルラ。
 



仏教以外で、ラサで触れられるチベット文化についても触れると、こちらの写真は若者からお年寄りまで、居心地のいいチベット茶屋。ポット単位で注文するお店もあり、たっぷりと時間をかけてお茶の時間を楽しめる。朝食に訪れたりもするし、軽食に麺類を注文することもできる。
 
 

2011年12月10日土曜日

DAY35-36,40-42 (2010/4/29-30, 5/4-6 ラサ①):ラサの人々

(前回の更新から時間を空けてしまいましたが、1年半前に出会ったことを整理しながら、写真を手掛かりに少しずつ旅を振り返ります)

やっぱり頭がぼーっとする。
標高3650mのラサに向けて、数日前に標高2275mの西寧に泊った後、青蔵鉄道で1晩かけてラサ入りをした。これだけ馴らしたものの、やはり高山病の症状は出ます*。

チベット文化の中に中国文化が勢いよく入り混んでいます。「中国とラサ」については別にまとめるので、ここでは2010年4月末~5月初めのラサ中心部の人々の様子について記録します。ラサの漢民族の比率は、現地の人によると、およそ半数だそう。

ラサの若者達(左)とチベット族のおばさん(右)。
左の若者達は、肌の色から男性はチベット族で彼女は漢民族でしょうか。
(チベット族と書く場合は衣服で判断)
  


チベット族のおばあさん。


安全ピンが一杯の衣服を着たおばさん。


仲良し4人組チベット族。


露店で売られていたチベット族歌手のCD(左)と歩道に座る若者(右)
イタリアンサングラスが人気のよう。
 

正座してお金を乞う子供(左)と、
寄付用カップを前に置いて黙々と手作業をするおばあさん(右)。
一部の通りには物乞いをする人たちも。おばあさんへお金を置いていく人を何人も見かけました。
 

五体投地で進む人


ゴミ箱を除くチベット族のおばあちゃん。


豚肉を三輪車で運ぶ人と反対車線を走る新車


学校帰りの小学生(左)と人気のスケートボードで遊ぶ子供(右)。
漢民族でしょうか。
 

旧市街地、八角街(バルコル)の近辺のイスラム街でくつろぐ人(左)と歩道でゲームをする人(右)
 


ポタラ宮の前で記念撮影をする尼さん


イスラムの人々


ラサで学ぶ大学生の皆さん。
将来働くことを楽しみにしている学生さんが多かった。



*高山病についての余談。中国本土出身の友人は、チベット人と結婚後、ここでの生活が10年以上経つものの高山病の薬なしでは生活できないそう

2011年1月8日土曜日

DAY35-36,40-42 (2010/4/29-30, 5/4-6 ラサ②):中国とチベット

(旅を振り返り日記を綴ります)


神秘的な天空の都のイメージのラサ、歩けば異文化を感じる・・・とを想像していたのですが、第一印象はこの写真のように近代化している中国の一都市です。



ラサの印象は、訪れる場所・宿泊場所によって大きく左右されるのでしょう。私たちはチベット人が運営する宿ではないところに宿泊したため、チベット文化に触れる機会が少なかったかもしれません。ここでは中国としてのラサについて感じたことを書き留めておきます。

●中国で訪れた他の都市と同様、敷かれたアスファルトには中国製の新車を始めとする自動車が行きかい交通渋滞が起こっている。
●中国を回ってきた私たちにとっては戸惑いがない程、バスやタクシーの仕組みは中国本土と同様。ちなみに、タクシー代は、訪れたどの中国の都市よりも高く、現地の人に言わせるとラサは中国の中でも給料はトップクラスと言っていた気がします。
●チベット族居住区のバルコルを除けば、中華料理店の方がチベット飲食店よりも数で勝るように感じました。看板表記も中国語
●年配の方と一部の僧や参拝するチベット人を除き、チベット衣装を着ていない人が目立つ
●ポタラ宮に頂上にはためく中国国旗、ポタラ宮前の広場という概念、中国軍隊による厳重な警備

 
     

近代化に対するチベット族の思いは様々なよう。チベット族の人とは通訳がなければ話せないので、彼らの声を聞くことは結構難しいものがありますが、ポジティブな意見を持っている人もいました。海外帰りの人は、現状に満足していない様子が伝わってきました。

●食べるだけで精いっぱいだった昔に比べ、ずっと暮らしに余裕がでた(チベット族の老人)
●食べることが好きなチベット族の多くは、今や食堂の種類も増え喜んでいるのでは?(夫がチベット人の漢族の妻)
●郊外へ出かけた際、(欧米帰りの)ドライバー(チベット族)が、チェックポイントの用紙を最後に投げ捨てた(笑い混じりでしたが)。
●10年以上インドに住み戻ってきたのドライバー(チベット族)は、帰国時にあまりの変貌が残念だったことを残念がっていた。

チベット族と漢民族の大学生と一緒に乗ったバスの中で、チベット族の女学生がみんなにのせられて歌を披露したとき、車内は大盛り上がりで、漢民族の学生も一緒に楽しんでいました。世代や受けている教育、コミュニティによって中国との距離は違うのかもしれません。

ちなみに、彼女の澄んでいてよく通った歌声は、今も耳に残っています。



Nobu

2011年1月2日日曜日

DAY34-35 (2010/4/28-29 西寧→ラサ):青蔵鉄道2日目

(旅を振り返り日記を綴ります)

深夜、ゴルムド駅へ。満月、澄みきった空気。
 

夜が明けてきました。


遠くに雪山が見えてきました。
 

窓の外の景色。
 

人が住んでいるようです。
 

見どころの一つ、湖が見えてきました。車内放送も流れ、乗客が窓際に集まります。
  

湖の脇では、橋が建設中です。
 

チベット人の民家が、ちらほら。お!遊牧チベット人が双眼鏡で列車を眺めています。
  

湿原で放牧。平原にポツリポツリと住居があります。
  
 

青い空


民家が増えてきたと思ったら・・・村かな。そして那曲(標高4513m,すでに富士山より高いです)。
  
 

見飽きない景色。


 

青い空、放牧、遠くに見える雪山。


村の人々は毎日遠くの山々を見渡しているのでしょう。
 

途中の街。
 

ただいま、時速114km。


当雄。そして、ゴミ。
 

 

当雄近くのチベット人の暮らし。
 

家畜の糞は、貴重な燃料。
 

羊八林


川。
 

ガソリンスタンド。大型トラック。
 

ラサへ延びる道路はピカピカ。
 

岩の壁画。チベットの家。
 

畑仕事に出る人たち。
 

ヤクの二頭引きで畑を耕す。休憩をとる人たち。
 
 

トラクターで畑を耕す人もいれば、手作業する人もいます。
 

首都・ラサに近づいてきたからでしょうか。村にはバスが走っています。
  

観光客でしょうか。
 

都心に近づくにつれ、ゴミや工場からの排煙が目立ってきました。
 
 

橋の上に架けられたタルチョがはためいています。
  


都会になってきました。
 
 


ついに、ラサへ到着。
 

ラサ(拉薩)駅概観


Nobu