(旅を振り返り日記を綴ります)
ネパール滞在は、インドのトランジットビザ取得が主な目的のため、カトマンズをブラブラ散策して感じた点 ①電力不足 ②環境問題 ③ハイキング風 ④ネパールのエコグッズ ⑤食事 ⑥カトマンズ諸々 について書き留めます。
①電力不足
水力発電に頼るネパールでは、乾季の今は計画停電によって、日中はほぼ電気が使用できない。今まで旅した国の中でも、日中に全く利用できない場所ははじめてかな。電化製品の中でも、インターネットでの情報収集ができないところが不便。
電力は主に水力発電によるもの。ただし、ネパールにおいて水力発電できる発電量に対して、現段階では10%に満たない量しか供給できておらず、電力にアクセスできる人は全人口の40%だという(IPPANより)。日本のODAで2009年(平成21年度)には太陽光を活用したクリーンエネルギー導入計画を行っているようです。
洗濯機がなかったため(あったとしても電力不足で日中は使えない)、足踏み洗濯。服の汚れはひどい・・・。
街を歩けば、環境問題が至るところで目につく。市内はこのとおり、視界が悪い。土埃と排気ガスによるもの?大衆食堂で話した現在ベルギー在住のネパール人は「妻に故郷カトマンズを見せるため、十数年ぶりにやってきたが、環境の悪化を非常に残念だ。もっと美しかった」と漏らしていました。
川はゴミ捨て場となり、異臭もきつい。
③カトマンズ探索
ヒマラヤのトレッキングには時間がとれなかったけど、カトマンズ近郊のハイキングできる場所があれば、ということで、地図をみて緑がある区域にやってました。地図が読みづらく、地元の人の真似をして壁をまたいでみた。
なかなか気持ちがいい道でした。
しかし、途中で軍服を着た人がいる場所があり、そこで止められました。少し引き返して壁をよじ登って出ましたが、果たして私たちが歩いた道はトレッキングルートであったのか不明。カトマンズ側に戻った風景(左)。中心から外れたこの辺には、新築や建設中の家がちらほら。(右)
④ネパールのエコグッズ
滞在する欧米人(ヒッピーなど)は多いようで、エコグッズなどもいろいろと出ているようです。
「多目的ナチュラル・ソープ・ナッツ・クリーナー」は、ネパールの野生の木の一つのナッツ・ソープ(sapindus mukorrossi)を砕いたもので、シャンプー、食器洗い、洗濯、窓掃除など昔から様々な用途で使われているという。ナッツソープは欧米では重層クリーニングに並んでエコクリーナーとして利用されているよう。日本でもソープナッツを愛用している方は既にいるみたいですね。
多目的ナチュラル・ソープ・ナッツ・クリーナー(左)。ネパール製ではなく、インド製のものも多いですが、「biotique」の日焼け止めや、歯磨き粉「herbodent」など自然な原料の商品が安く手に入るので、買い物が楽しい(右)。
⑤食事
ネパールの食文化は、インド料理系、中華系、ネパール系に分けられる。
インド料理に近いものは、インドのものよりもマイルド。
大衆食堂にて(左)。ネパールのダンスも鑑賞できるレストランにてコースのメイン料理(前菜、コーヒー、デザート付きで750ルピー)(右)。
物価は、チャイなど飲み物が10ルピー以下(約10円)、炒麺も100ルピーしない。
ポン菓子も主食?不思議な組み合わせ(左)。外国料理もネパール風だとこうなる(「Thukpa」と呼ばれる)麺料理(右)。
大衆カフェの朝食メニューには、ネパール料理の他に、サンドイッチ、ハンバーガー(40ルピー)、ソーセージ、炒麺、モモ(餃子)、オムレツなど外国料理が並んでいる。アルコールもあり、ラム、ウィスキー、ブランデーなどもあり、インドよりも外国文化が入っていると思う。
⑥カトマンズ諸々
カトマンズ概観
ブルーシートで覆われたマーケット(左)。途上国で見かける配線(右)。
毛沢東派のマオイストによるストライキがつい先日まであった。インド大使館に行くには、このストライキの拠点となった場所の近くを通ることになるため、不安になってユースホステルのオーナーに聞いたところ、今日は大丈夫とのこと。かなり気を張りつめて出掛けたところ、現場付近は軍隊が構えていたものの、普通の人々も行きかいがあり、何事もなく無事でした。
ネパールの人口のおよそ11%が仏教徒(ヒンドゥー教徒 81%)。ダライ・ラマの写真が飾られている。
タンカショップもある。仏寺。
リキシャは、バングラデシュの首都ダッカに比べればずっと少ない。プレートの横にチェ・ゲバラが、インドやバングラデシュではみたことがない。
ネパールの人は肌の色は濃いですが、結構東アジア人のような顔立ちの人もいます。バスのお兄ちゃん、ジャニーズに入れそう。
騎馬隊。
なぜネパールで騎馬隊なのか。ネパールらしさもないのであまりしっくりはきません。しかし、品があるし、排気ガスも出さないし、いいかと。イギリスでは、儀式のためだけでなくデモの際に騎馬隊が出動し、迫力がありました。日本でも欧米に習い、騎馬隊が明治時代より発足しています(警視庁騎馬隊)。各国で取り入れる場合、制服などに自国の伝統をもう少し組み入れたら断然格好いい。明治時代には、角袖という和装のコートがあったそうですが、実用的な和装の制服はできないものなのか。
BOP市場向け小分け販売はネパールでも。
ネパールの基本情報をざっとみると、インドの隣にある北海道の約1.8倍の大きさ、人口約2800万人のネパールは、インドと同じくヒンドゥー教徒が大部分を占めますが、主要産業が農業、カーペット、既製服、観光であり、インドの農業、工業、鉱業、IT産業とは構成が異なる。GDP実質成長率は3.5%とインドの8.5%と比べて低く、一人当たりのGDP約562ドルも、インド 1,265ドルに比べて半分以下。識字率はインドが74%に対してネパールは約54%となっている。
貿易相手国として輸出入の双方のトップはインド、中国も上位に入っている。輸入の上位にアラブ首長国連邦が入っているのは石油製品の輸入だろうか。輸出国には、インド中国の他に、米国、バングラデシュ、ドイツが入っている。主要援助国は、英国、米国に続いて、独が入っている(外務省より)。
※為替は1ルピー(Rs.)=約¥0.95(2011年12月)なお、旅行当時は1ルピー≒1.5円で計算
日本の統計についてはこちらのページが参考に。
2012年1月16日月曜日
DAY43-45 (2010/5/7-9 ヒマラヤ越え③):国境越え-中国側・樟木(ダム)~ネパール側・コダリへ
(旅を振り返り日記を綴ります)
夜が明けると中国側・樟木(ダム)の町並みが見えてきました。
左側が中国側・樟木で、右側がネパール側・コダリです。
中国側(左)とネパール側(右)。
樟木(ダム)の街並み(左)、これほど細い街をみたことがありません。ここにはチベット犬はいません(右)。
こんな谷にある町のゴミは一体どこで処理されるのか、気になる。
山を下って国境へ向かいます(左)。国境付近に来ると(ネパールからのトラックで大渋滞です)。
いよいよ、国境です。
チベットはダライラマの写真を所持することが禁止されていますが、私たちはダライラマの写真のある本を持っていたので、検問にドッキドキ。検問官はバッグを開けて手前にある本から一冊ずつページをめくってチェック、相当数の本を持ち歩いてため、運良く切り抜けられました。それにしても、出国時なのに厳しい検問。
検問を通過し、橋の国境越え。
橋の中央が国境です。
写真はさすがに要所なので取れなかったのですが、これまでまたいだ国境の中で最も興味深かった。橋は10M程度で、橋の中心点を境に中国側とネパール側に分かれています。中国軍が等間隔で起立する一方、ネパール側の軍隊は緊張感もなく適当な雰囲気。
国境を越えて、橋を渡り終えると、「やったー!開放された!」という安堵感で一杯に。
瞬間、異国になりました。ここはネパールです。
車も違う、人も違う、座り方も違う!
でも食べ物は中華風のチョウミン(炒麺)。国境の下を通っていた川が崖下に見えます。
ネパール側から中国側が奥に見えます(左)。ここはキッチン兼食堂、目の前にガスタンク(右)。
中国ではみかけなかったTATAのバスでカトマンズへ向かいます。荷物は屋根へ(左)。
バスで山を下ります。谷沿いに田園風景が見えてきます。道は細い。これはいつ事故が起こってもおかしくない。結構命が縮まる思い。
動物をさばいています。
途中、商店もあります。
小さな町を通り過ぎます(左)。屋上に乗りあうこの風景、今の時代でも見られる(右)。
友達に瓜二つの人を発見。どの角度からも似ている。相当似てると思うんでけど。
バスからの風景。青と赤の対比がいい。
山を下りきった。カトマンズ到着。
町で出会った人に言わせると大気汚染は近年最もひどくなったという(左)。
今夜の宿。
夜が明けると中国側・樟木(ダム)の町並みが見えてきました。
左側が中国側・樟木で、右側がネパール側・コダリです。
中国側(左)とネパール側(右)。
樟木(ダム)の街並み(左)、これほど細い街をみたことがありません。ここにはチベット犬はいません(右)。
こんな谷にある町のゴミは一体どこで処理されるのか、気になる。
山を下って国境へ向かいます(左)。国境付近に来ると(ネパールからのトラックで大渋滞です)。
いよいよ、国境です。
チベットはダライラマの写真を所持することが禁止されていますが、私たちはダライラマの写真のある本を持っていたので、検問にドッキドキ。検問官はバッグを開けて手前にある本から一冊ずつページをめくってチェック、相当数の本を持ち歩いてため、運良く切り抜けられました。それにしても、出国時なのに厳しい検問。
検問を通過し、橋の国境越え。
橋の中央が国境です。
写真はさすがに要所なので取れなかったのですが、これまでまたいだ国境の中で最も興味深かった。橋は10M程度で、橋の中心点を境に中国側とネパール側に分かれています。中国軍が等間隔で起立する一方、ネパール側の軍隊は緊張感もなく適当な雰囲気。
国境を越えて、橋を渡り終えると、「やったー!開放された!」という安堵感で一杯に。
瞬間、異国になりました。ここはネパールです。
車も違う、人も違う、座り方も違う!
でも食べ物は中華風のチョウミン(炒麺)。国境の下を通っていた川が崖下に見えます。
ネパール側から中国側が奥に見えます(左)。ここはキッチン兼食堂、目の前にガスタンク(右)。
中国ではみかけなかったTATAのバスでカトマンズへ向かいます。荷物は屋根へ(左)。
バスで山を下ります。谷沿いに田園風景が見えてきます。道は細い。これはいつ事故が起こってもおかしくない。結構命が縮まる思い。
動物をさばいています。
途中、商店もあります。
小さな町を通り過ぎます(左)。屋上に乗りあうこの風景、今の時代でも見られる(右)。
友達に瓜二つの人を発見。どの角度からも似ている。相当似てると思うんでけど。
バスからの風景。青と赤の対比がいい。
山を下りきった。カトマンズ到着。
町で出会った人に言わせると大気汚染は近年最もひどくなったという(左)。
今夜の宿。
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