2011年1月8日土曜日

DAY35-36,40-42 (2010/4/29-30, 5/4-6 ラサ②):中国とチベット

(旅を振り返り日記を綴ります)


神秘的な天空の都のイメージのラサ、歩けば異文化を感じる・・・とを想像していたのですが、第一印象はこの写真のように近代化している中国の一都市です。



ラサの印象は、訪れる場所・宿泊場所によって大きく左右されるのでしょう。私たちはチベット人が運営する宿ではないところに宿泊したため、チベット文化に触れる機会が少なかったかもしれません。ここでは中国としてのラサについて感じたことを書き留めておきます。

●中国で訪れた他の都市と同様、敷かれたアスファルトには中国製の新車を始めとする自動車が行きかい交通渋滞が起こっている。
●中国を回ってきた私たちにとっては戸惑いがない程、バスやタクシーの仕組みは中国本土と同様。ちなみに、タクシー代は、訪れたどの中国の都市よりも高く、現地の人に言わせるとラサは中国の中でも給料はトップクラスと言っていた気がします。
●チベット族居住区のバルコルを除けば、中華料理店の方がチベット飲食店よりも数で勝るように感じました。看板表記も中国語
●年配の方と一部の僧や参拝するチベット人を除き、チベット衣装を着ていない人が目立つ
●ポタラ宮に頂上にはためく中国国旗、ポタラ宮前の広場という概念、中国軍隊による厳重な警備

 
     

近代化に対するチベット族の思いは様々なよう。チベット族の人とは通訳がなければ話せないので、彼らの声を聞くことは結構難しいものがありますが、ポジティブな意見を持っている人もいました。海外帰りの人は、現状に満足していない様子が伝わってきました。

●食べるだけで精いっぱいだった昔に比べ、ずっと暮らしに余裕がでた(チベット族の老人)
●食べることが好きなチベット族の多くは、今や食堂の種類も増え喜んでいるのでは?(夫がチベット人の漢族の妻)
●郊外へ出かけた際、(欧米帰りの)ドライバー(チベット族)が、チェックポイントの用紙を最後に投げ捨てた(笑い混じりでしたが)。
●10年以上インドに住み戻ってきたのドライバー(チベット族)は、帰国時にあまりの変貌が残念だったことを残念がっていた。

チベット族と漢民族の大学生と一緒に乗ったバスの中で、チベット族の女学生がみんなにのせられて歌を披露したとき、車内は大盛り上がりで、漢民族の学生も一緒に楽しんでいました。世代や受けている教育、コミュニティによって中国との距離は違うのかもしれません。

ちなみに、彼女の澄んでいてよく通った歌声は、今も耳に残っています。



Nobu

2011年1月2日日曜日

DAY34-35 (2010/4/28-29 西寧→ラサ):青蔵鉄道2日目

(旅を振り返り日記を綴ります)

深夜、ゴルムド駅へ。満月、澄みきった空気。
 

夜が明けてきました。


遠くに雪山が見えてきました。
 

窓の外の景色。
 

人が住んでいるようです。
 

見どころの一つ、湖が見えてきました。車内放送も流れ、乗客が窓際に集まります。
  

湖の脇では、橋が建設中です。
 

チベット人の民家が、ちらほら。お!遊牧チベット人が双眼鏡で列車を眺めています。
  

湿原で放牧。平原にポツリポツリと住居があります。
  
 

青い空


民家が増えてきたと思ったら・・・村かな。そして那曲(標高4513m,すでに富士山より高いです)。
  
 

見飽きない景色。


 

青い空、放牧、遠くに見える雪山。


村の人々は毎日遠くの山々を見渡しているのでしょう。
 

途中の街。
 

ただいま、時速114km。


当雄。そして、ゴミ。
 

 

当雄近くのチベット人の暮らし。
 

家畜の糞は、貴重な燃料。
 

羊八林


川。
 

ガソリンスタンド。大型トラック。
 

ラサへ延びる道路はピカピカ。
 

岩の壁画。チベットの家。
 

畑仕事に出る人たち。
 

ヤクの二頭引きで畑を耕す。休憩をとる人たち。
 
 

トラクターで畑を耕す人もいれば、手作業する人もいます。
 

首都・ラサに近づいてきたからでしょうか。村にはバスが走っています。
  

観光客でしょうか。
 

都心に近づくにつれ、ゴミや工場からの排煙が目立ってきました。
 
 

橋の上に架けられたタルチョがはためいています。
  


都会になってきました。
 
 


ついに、ラサへ到着。
 

ラサ(拉薩)駅概観


Nobu